ヴンダーカマー・ナイン
東京、上野区。多くの美術館、博物館の集まるこの場所のとある博物館にて、一風変わった企画展が行われていた。
土器の欠片、動物の形の土偶、用途不明の三つの穴が空いた軟玉の勾玉、水晶の珠を連ねた首飾り、獣の骨から削り出した釣り針、頭だけの石像、小さな矢尻、青銅の鈴、亀の甲羅、ただの玉砂利にしか見えない小石群、元が何かもわからないガラス片……。
古代日本の遺物であるらしい、ということ以外は出土した場所も、年代も、素材も、用途もバラバラの、玉石混合、雑多な感が否めない展示品の数々からは、いまいちテーマが読み取れない。常ならば目玉となる展示品を決め、それが目立つように演出をし、宣伝だって打つものだが、それもない。
妙な所の多いこの展示は、日本各地を渡り歩き、古代の物品を集めて回るのが趣味だという好事家の、個人的なコレクションを借り受けて開かれたものだという。持ち主は学者ではなく、投資家でもない。よって、学術的分類も金銭的価値も二の次に、ただどこかがその好事家の琴線に触れた、という点のみが共通する品が並べられているのだそうだ。その様はどことなく、整然と管理された展示品、というよりは、気に入った石や虫の抜け殻を好きなように集めた、子供の宝箱を連想させる。
「9の驚異の部屋」展。
それがこの特別展の名だ。
9とは何が9なのか。展示品は9個よりもずっとずっと多い。出土した地域が9つなのかというとそうでもない。数字をテーマにした展示物ばかりでもない。はて、何をもって9なのか。説明はなく、訪れた客は、最後まで順路を進んでも結局「9」の正体が分からないまま、首を傾げて会場となった博物館を去ることになっている。
そんななんとも言えない謎めいた展示であるが、本日は終日、貸し切りとなっていた。
展示された古い剣を眺めているのは、9月には少々気が早い感のある黒いロングコートを着た男である。
「あれーッ、もしかして阿門クン?! と、双樹サンと神鳳クン?!」
博物館に不似合いな、素っ頓狂な声をかけられ、ロングコートの男こと阿門帝等はそちらを見た。そばにいた豪奢な赤毛の肉感的な美女と、長い黒髪を肩口で纏めた細身の男もそれに倣う。
「あら」
「君は確か……」
「久しぶりだねッ!」
楽しげに片手を振りながら歩み寄ってくる女は、正直な所、阿門にはあまり覚えがなかった。が、彼女と共にやってきた、艶やかな黒髪を短く切ったたおやかな女のことは、20年が経つ今でもよく覚えていた。だが、そのかんばせが浮かべる、白い花のような優しげな笑みには見覚えがない。記憶の中の彼女は、いつも憂いを帯びて目を伏せていたものだが……。
半信半疑で、彼女の名を口に上らせる。
「白岐幽花……」
「ええ。お久しぶりね、阿門さん。双樹さんと、神鳳さんも……」
やはりそうだ。となると、もう一人、溌剌とした笑みを浮かべた隣の女も心当たりが出てくる。
「八千穂……だったか」
ぱっと目が丸くなる。
「わァ、すごい! よくあたしの名前、覚えてたね?! あたし達、直接話したこと、あんまりなかったと思うけど……、えーっと、夜会の時はちょっと話したっけ……でもあの時は仮面もあったし……」
あごに指を当てて記憶を手繰った八千穂明日香が、ああ!と明るく納得の声を上げる。
「そういえば遺跡の最深部では話したねェ! あの時はゴメンねッ、思いっきりスマッシュ打っちゃってー」
「あなた、そんなことしてたの?」
双樹が呆れて、麗しい赤い唇でおかしそうに笑う。隣で神鳳も苦笑した。
「ああ……、僕も受けたことがありますね……。あれは中々、忘れ難い……」
「神鳳クンもだっけー! ほんとゴメーン」
両手を合わせてエヘヘと笑う顔に、あの時受けた豪速のテニスボールを思い出す。あまりの威力に、この學園にはよもや自分の他にも《黒い砂》を操って常人を魔人とする《力》を持つ者がいるのではないか、と当時の阿門は戦慄したものである。
閑話休題。
「お前達も、今日のチケットが送られてきたのか?」
二人は楽しげに顔を見合わせてから頷く。
「うんッ、そう! 突然でビックリしちゃった。あたしの所にまとめて、あの頃バディだった子達の分もね」
「明日香から連絡をもらって驚いたわ……」
「もー、焦ったよォ。幽花や月魅はともかく、黒塚クンや響クンの連絡先なんて分かんなくなってたし……! なんとか知ってそうな人に連絡して、また連絡して……」
ため息をついた後、八千穂は誇らしげに胸を張る。
「でも、託された分の招待状は、全部ちゃんと配ったよ! みーんな、絶対行くって言ってたから、そのうち集まってくるんじゃないかな」
20年も経てば、連絡先があやふやになっていても不思議はない。途切れた縁を辿って、よくやり遂げたものである。
「そういえば、《墓守》だった皆の分の招待状は、こっちにはなかったんだけど……」
「それは天香へ届いていた」
「やっぱり。阿門クンに届いてたんだ。そうだと思った! じゃあ阿門クンも大変だったねェ……」
同情たっぷりに嘆息され、阿門は首を振る。
「いや。当時《墓守》だった者達の動向は、今でも把握している。だから転送も特に苦労はなかった」
「あ、そうなの……」
拍子抜けする八千穂をよそに、白岐が気遣わしげにこちらを見上げた。
「《墓守》だった人たちは、今は……?」
懸念を汲み取り、頷いた。
「《黒い砂》による《力》は今もなお残っているが、体調などには特に問題はないようだ。皆、平穏にそれぞれの道を歩いている」
「そう……良かった……」
そっと吐かれた息は安堵がこもって温かい。微笑んだ白岐の背中をそっと叩いて、八千穂も嬉しそうに微笑んだ。
「《墓守》の皆も今日来るって?」
「ああ、その予定だ」
「すごい! なんだか同窓会みたいだね」
はしゃいでから、八千穂はきょろきょろと周りを見た。
「……ってことは、ここにいる人達って、みんな……?」
「大部分は俺達には知らない顔だが、奴に繋がりのある者達なのだろう」
「だよねェ。へへッ、相変わらず人気者だ」
開館時間からまもなくの早い時間にも関わらず、展示室はなかなかの人数で賑わっている。今日は貸切で、送られてきたチケットでしか入れない。天香學園の関係者ではない知らない顔の人間達も、今の阿門達のようにそれぞれ小さなグループになっては「久しぶり」「元気だったか」と小声で言い合っている。阿門達と同じような経緯で集まったのだろうと察せられた。
「でも、本人は来ていないようね……」
辺りを見回して残念そうに少し眉尻を下げる白岐である。同じように、双樹は拗ねて唇をとがらせ、神鳳もほんのわずかに肩を落とす。
「全員を集めるのであれば、久々に彼の顔も見られるかと思ったのですが……」
「本当よ。期待させておいて。相変わらず罪な男」
八千穂がまあまあと軽く手を振る。
「日付の指定だけで、時間の指定はなかったんだから、そのうち来るかもしれないじゃない」
「そうね。今日はもう、一日中でも粘ってやるわ。こんないい女に気を持たせるだけなんてって、お説教の一つもしてあげなきゃ」
つん、と鼻を上向けて艶然と微笑む双樹は、女子高生だった頃にはほんのわずかに残っていた少女の甘えが消え失せて、堂々と芯から迫力のある美女である。今の彼女に叱られてはさしものふてぶてしい《奴》もタジタジとなるのではないか、と、想像して阿門はかすかに笑んだ。
と、八千穂が顔を上げ、鞄に手を入れた。震えるスマホを取り出し、メッセージを見て笑顔になる。
「あ、月魅も着いたみたい。あたしちょっと、入口まで迎えに行ってくる」
「私も……」
「すぐだから幽花は見ておいて! 展示品、こんなに沢山あるんだもん。面白そうなものがあったら教えてねッ」
言うが早いか、八千穂は来た道を引き返して展示ケースの群れの向こうへ慌ただしく消えていった。
「幽花ったら、20年経ってもあの頃のままね……」
「そうそう人柄は変わらないものなのだろう」
そうね、と微笑んで頷く白岐を、阿門は改めて見下ろした。長かった黒髪を、今はばっさりとショートに整えているために、細い首筋がよく見える。そこには重たげだった鎖は既に無く、すっと伸びた背筋が清廉だ。水鳥のような優雅さに加えて、あの頃にはなかった軽やかさも備えたかつての《鍵》を、驚きと、かすかな後悔をもって見つめる。
その視線を横から見てとって、神鳳が双樹に声をかけた。
「面白いものといえば、あちらに何か動物の土偶がありましたね。妙に愛嬌のあるフォルムで。僕は鹿だと思うのですが」
「ええ? あれは犬でしょ?」
「犬に角はないでしょう」
「あの尖っているのは角じゃなくて耳じゃない?」
「いいえ、角です」
「なによ、やけに言い張るわね。いいわよ、もう一度見に行きましょう。絶対に犬だから」
「鹿ですったら。……帝等さんも、白岐さんも、後で意見を聞かせてくださいね」
自信たっぷりに高いヒールを鳴らして別の展示ケースの方へ向かう双樹を、阿門と白岐に目礼してから、神鳳は追いかける。その背中は楽しげだった。
「あなた達、ずいぶんと気安くなったようね……」
感心した様子の白岐に、阿門は生真面目に頷いた。
「もう20年来の付き合いになるからな……。あの二人は特に、今でもよく遺跡の跡地の様子を見に訪ねて来る」
「あなたの様子も見に?」
くす、と楽しげに漏れる笑い声は、あの頃には想像もできなかったものだ。つられたように、阿門も表情を緩める。
「ああ。その通りだ。今となっては、良き友といえる」
すてきね、と呟いてから、白岐は自分の胸に手を置いた。
「私も……あの頃はただ通り過ぎていくだけの同級生だと思っていた明日香や、月魅と、ずいぶん長く親しい付き合いになった……。高校生の頃は、こんな風になるなんて、少しも想像していなかった」
「……」
かつて白岐は、遺跡の封印の要、《鍵》としてその身を遺跡のそばに縛られる宿命を背負っていた。重い使命は彼女の魂を押し固め、年相応の少女として学校生活を楽しむ明るさを奪い、代わりに諦念を纏わせた。
そして、そうさせていたのは、阿門である。
「俺を、恨んでいるか」
つい、そう問いかけてしまったのは、今の彼女こそが本来の姿であり、かつての彼女の陰鬱さは天香學園という檻の中に押し込められていた故なのだ、と改めて実感したからだろうか。
白岐は驚いたように軽く目を見張り、阿門を見上げた。
「どうして?」
それが、本心からの問いかけと分かったからこそ、阿門も困惑してしまった。
「……」
黙り込む阿門に、白岐は柔らかく睫毛を上下し、それから淡く苦笑を浮かべた。
「あの頃のこと? あなたが悪いわけではなかった。そのくらいは分かっている……」
「しかし……」
《墓》の主の息のかかった者の手から守るためとはいえ、一度は彼女を拉致監禁したことさえあるのだ。そして、いよいよ《墓》の主が目覚めようとした時には、自分は迷いなく彼女を《鍵》として捧げようともした。憎まれている、あるいは嫌悪されていて当然なのではないか。……しかし、そういえば、当時も彼女は、恨み言の一つもぶつけてはこなかった。
《鍵》の役目を失った一人の女は、静かに語る。
「私は、私の役目を受け入れていた。諦めていた、というべきかしら。《鍵》は必要だった。それだけの話。そこに個人の意志などなかった。あなたも、私も……」
白岐はついと視線をずらし、そばにあった展示ケースの中を見た。その表情はかつて、窓ごしに《墓》のある方を眺めていた時のものによく似ている。
「むしろ私は、あなたに申し訳なく思っていたのかもしれない……」
「何故?」
「そうね……。《墓守》が墓地に埋めていた贄を、私の身代わりのように感じていたから……かしら」
驚いて、阿門は白岐の横顔を見つめた。
「彼らは封印の礎だった。私が、その封印の要なら……、真っ先に埋められるべきは、本当は私なのではないか、と、ずっと思っていた……」
「……」
「《白岐》と《阿門》は、どちらもあの墓所の封印を担っていた。けれど、座すだけの私達とは違い、手を汚すのはいつもあなた達《墓守》の役目で……」
ふ、と、か細いため息が漏れる。
「贄になることも、苦しむ《墓守》達の仕事を肩代わりすることも出来ない、中途半端で……無力な……。そんな自分が、嫌いだった……」
憂いて伏せられた瞼の白さに、かつての少女の面影が滲んでいる。
「だから……あなたの目から見たあの頃の私が、辛そうだったり、悲しそうだったり……そんな風だったとしたら、私自身の心のせい。あなたのせいでは、なかった」
「……そうか」
頷きはしたが、阿門は言った。
「それでも……、すまなかった」
寂しい時計塔の一室に閉じ込められても、彼女は抵抗しなかった。ただ黙ってその扱いを受け入れた静かな眼差しを、今まで阿門は忘れることがなかったのだ。
ふと目を上げて、白岐は阿門を見上げた。
「まさか、ずっと気にしていたの……? 20年も経つのに?」
「……」
「あなた、厳しいのは外見と態度だけで、根は……。いいえ、あの頃も、そうだったわね」
「……」
なんと言葉を返したものか、迷って結局阿門は口を噤んでいた。白岐は苦笑し、視線を展示ケースの方へ戻した。
「そんなあなたが、あんな役目を背負っていたことこそが、あの學園の悲劇だったのかもしれないわね……」
「……」
「私は結局、何も出来なかった……」
自身の評価については置いておくとして、これは言わねばならない、と、阿門は言葉を探しながら口を開いた。
「お前は、無力ではなかった」
「……?」
「最後に《荒吐神》……いや、長脛彦の魂を鎮め、災いを防いだのは、お前だ。俺も含めて、皆、それに救われた」
「それは、私じゃないわ。立ち向かったあの人と、私の遺伝子の中にいた、大和の巫女のおかげで……」
「それでも」
白岐へと、体ごと向き直る。
「それでも、《巫女》をあの場へ……天香の玄室へ連れてきたのは、お前だ。お前が自分の足で、危険を承知であの部屋へ来て、《荒吐神》の前に立ったからだ。その功績を、俺は覚えている」
真っ直ぐに見下ろした女の顔は、年を経てもあの頃の少女の面影が濃い。懐かしい眼差しだった。
その瞳が、緩む。
「ありがとう。……やはり、あなたはやさしいわ、阿門さん」
「……」
またなんと答えたものか分からなくなり、展示ケースの方へ向く。白岐もそれに倣い、くすっと楽しげな笑い声を漏らした。
「でも、一番の功労者は間違いなく、彼ね」
「……否定はしない」
「あなたの役目も私の役目も、《墓》も、《荒吐神》も、全部壊して平らげてしまった。大変なことだわ。それに……」
ちら、と、他の展示ケースと、それにそれぞれ集まる人々を見回して、白岐は楽しげに笑みを深める。
「どうやら、彼がそうしたのは、天香遺跡だけではないようね……?」
「偉業、ではあるのだろうが……手放しで褒める気になれないのは何故だろうな」
「ふふ。嵐のようだったものね……」
当時のドタバタぶりを思い出したのだろう。白岐はくすくすとしばらく笑い続けた。それから、展示ケースの中を注視し、懐かしげに目を細める。
そこに飾られているのは、一振りの古い剣だ。鉄でも青銅でもない、不思議な輝きの刀身。
阿門にも見覚えがある。他ならぬ《荒吐神》との戦いで、奴の手で振るわれていたものだ。
「これは、お前が奴に託したもの……だな?」
「ええ。ここにあるということは、ずっと持っていてくれたようね……」
「あの後、返却されなかったのか」
《鍵》の一族に代々伝わる宝剣であったはずだ。それを私物化するとは。つい呆れが口調に滲んだ阿門に、正統な持ち主たる白岐が首を振る。
「いいえ。旅立つ前に、私に返そうとしてくれたわ……。でも、持っていってほしいと頼んだの」
何故、と視線の問いかけ。ガラスケースの中の剣を見つめる白岐の表情には、惜しむ心は浮かんでいない。代わりにあるのは、誇らしさ。
「彼は歩みを止めなかった。残り八つの《九龍の秘宝》を求めて旅を続けると。……それなら、行く先々で、長脛彦のように、《天御子》の手によって変じた者が立ち塞がるかもしれない。その時にはきっと、これが役に立つ……」
白岐はそっと、ガラス越しに剣の切っ先をなぞった。
「だから、役目を終えた私の所でしまいこむよりも、彼と行く方がいいと思った」
「そうか……」
「ええ……」
代々守り伝えてきた宝を託すのは、大きな決心だっただろう。だが、白岐に後悔はないようだった。
その気持ちは、阿門にも少し、分かる気がした。
「ところで……」
つい、と、白岐の指先が滑り、剣の隣に飾られたものを指す。
「この像も、見覚えがある気がするのだけれど……?」
そこにあるのは、黄金で作られた小さな鶏の像である。阿門は頷いた。
「あァ、天香遺跡から出土したものだ」
「やっぱり、そうよね……?」
「これのように、遺跡の仕掛けを解く鍵や、扉の封印に使われていた物などは、お前の剣と同じく、返却を申し出られたのだがな……」
大部分が崩れて原型を留めないとはいえ、天香遺跡は超古代文明のテクノロジーの宝庫だ。「その後の管理や調査に必要かもしれないから」、と、勝手に持ち帰っていた割にすんなりと、阿門の前に並べられたそれら。黄金で出来た像など、売り飛ばせば一財産だったろうに。生徒会室に堂々とやってきて牛乳を勝手に飲んで行くようなふてぶてしさはあるくせに、妙なところで律儀な奴でもあった。
「この鶏の像だけは、気に入ったから持っていてもいいか、と聞かれたのだ」
「そうなの……」
「供物の類や細々とした装飾品などは、見つけた端から持って行っていってどこぞへ横流ししていたようだったから……、今更許可を求めるのか、と呆れたものだ。好きにしろ、と言うしかなかった」
ふふ、と笑ってから、白岐は聞いた。
「何故、これだけ持って行ったのかしら。他の遺跡の手がかりになりそうだった、とか……?」
「いや」
鶏の黄金像を眺めて、阿門はつい、半眼になった。
「可愛いから、と」
白岐の目が丸くなる。
「可愛いから?」
「ああ」
「にわとりが?」
「ああ」
「単純に、形が可愛いから、欲しいと?」
「ああ」
白岐は吹き出し、珍しくも声を立てて笑いそうになったようだが、口を押さえて堪えた。肩が震えるのは誤魔化しようがないが。阿門はただ無言で金のにわとりを眺めた。
滲んだ目尻を指先で拭って、白岐は頷く。
「彼らしいわ。そう、そうね……そういう人だった。そう……。ずいぶん、お気に入りだったのね」
「……」
こうして20年後にもここにあるということは、後生大事に所有し続けていたというこだ。気に入ったから持ち帰りたい、というのは嘘ではなかったのだろう。大事にされていたのか、磨かれてゴージャスな黄金の輝きを放つにわとり。白岐につられるように、阿門もつい、口角を緩めた。
その時、後ろから声がかかった。
「む。そこにいるのは……阿門か?」
振り返れば、眼帯に和装の男が立っている。その隣に、屈
「阿門ドノッ、お久しぶりでありマス!」
声で分かった。
「真里野と、墨木か」
「ボクもいますよ!」
朗らかな声の主の姿は、見当たらない。白岐と共に首を傾げていると、墨木が笑い、胸に抱えていたタブレットの画面をこちらへ向ける。そこに写っていたのは、褐色の肌に黒い瞳を楽しげに輝かせた男だ。
「トトか」
「あいにく、今日はエジプトから離れラレなくて。スミキさんに頼んで、リモート見学です」
あの頃と比べれば随分と日本語が流暢になったものだ。画面の中のトトを覗きこみ、ふむと感心する。
「便利な物だな」
「こういうものは、拙者は何年経ってもよく分からぬのだが……。まあ、トトもここへ連れて来られたのは僥倖だ。今日は懐かしい顔が多い」
難しい顔で腕を組んでいた真里野が、改めて阿門へ向き直る。
「今年は年始の挨拶状を送って以来か。久しいな。千貫殿は息災か?」
「ああ。すっかり無理はきかなくなったが」
「変わらず達筆の返信を頂いたので感心していたのだ。また寄らせてもらおう」
「ああ。喜ぶだろう」
微笑んで頷く真里野の横で、少々へどもどとしながら、墨木が聞く。
「と、ところでッ……、こちらの御婦人は、もしや阿門ドノの細君で……ッ?!」
阿門は唖然とし、白岐は笑った。
「いいえ。違うわ、墨木さん。覚えているかしら、白岐です」
「しら……アッ?! 白岐ドノでありマスカッ?!」
慌てすぎて抱えたタブレットが上下に揺れ、映像が乱れたトトが「わー」と楽しそうな悲鳴を上げる。
「これは失礼ッ! 久々にお会いするもので……ッ、髪を切られたのでありマスねッ」
「ええ。そういえば、あなたとは卒業以来……、いえ、阿門のお屋敷での、成人パーティーが最後だったかしら。あの時はまだ、髪が長かった」
「見違えたでありマス! よくお似合いでッ」
「ありがとう」
淡く微笑んではにかみ、それから白岐はまじまじと墨木を見上げた。
「そういうあなたも……マスクをしていない所を見るのは、初めてかもしれない」
「アッ」
裏返った声を上げて、墨木は目深だったキャップの庇をさらに引き下げて顔を逸らした。
「も、申し訳ありませんッ、大分マシにはなったのでありマスがッ……ま、まじまじと観察されると落ち着かず……ッ!」
「あら……。ごめんなさい」
つい乗り出していた身を戻した白岐に、墨木がほっと息をつく。
「情けない話でありマス……」
「いいえ。あの頃と比べれば、大きな変化だと思うわ……。頑張って、いるのね」
「ハイッ!」
迷いなくそう返事ができるほどには、墨木は今の自分を誇っているのだろう。「スミキさん、横向きにナっています」とトトに指摘されてあわあわと、タブレットの向きを直す様子などは、あの頃の不安定さを隠せなかった少年の面影がある。だが、この20年で彼は大きく変わったのだ。
いや。変わっていない者などいないのだろう。
20年だ。
「なんだか、天香の皆と顔を合わせていると、信じられない気がする……。私達、もう38歳になったのよ」
白岐の言葉に、誰もが微笑み、頷いた。それぞれに流れた時間と、共通する思い出が交錯する。不思議と、多くを語らずとも通じ合うものがある気がするのは、青春の頃を共にしたからなのだろうか。
「おっ。この剣は……」
「アレ? このニワトリ、見たことがあリます!」
「まさか、天香遺跡からのものでありマスかッ?! ということは、やはり、この展覧会のものは、全部……!」
ガラスケースを覗き込んで笑顔になる彼らに、阿門と白岐が場所を譲った時、それぞれ別方向から声がかかる。
「ねえ帝等様、アナタも来てくださいな。神鳳ったら、あれが鹿だとまだ言い張っていて……、あら、真里野。と、えっ? もしかして、墨木?」
「おーい幽花! 月魅、来たよッ。駅で会ったって、タイゾーちゃんと黒塚クンも一緒! 久しぶりだよねッ」
続々と歩み寄ってくる懐かしい顔ぶれに、白岐が微笑んで手を振り返す。
「賑やかになりそう」
「ああ……」
だが、肝心の招待主はいないようだ。それに……。
チケットが同封された招待状を渡した際、何とも言えない顔で黙り込んだ、癖毛頭の友を思い出す。彼の姿も、まだないようだ。
再会を喜び合う天香學園の面々を見守りながら、連絡をしてみるべきか、と考え、いや、と思い直す。
あの頃、《生徒会》の面々の中で、一番《転校生》に近かったのが、彼だ。だから、阿門には分からない、思うところがあるのだろう。
携帯電話を取り出すことなく、阿門も久しぶりの会話の輪に、主に双樹の手によって引き込まれた。
貸切で、それぞれのグループ内が気安い関係だからなのだろう。それこそ同窓会のように、博物館としては少々賑やかすぎる展示室。今は遠く離れた友人が各地で集めたらしい品々は、どれも彼の冒険の日々を思わせて、眺める八千穂の心も沸き立った。
好奇心の赴くままに展示品を巡っているうちに、いつのまにか、友人達と離れてしまったようだ。間違って出口へと続く少し細くなった通路に差し掛かり、おっと、と戻ろうとした時だった。
見覚えのある癖毛頭が、そこに佇んでいた。
「あれッ、皆守クン!? こんな所にいたんだ」
「八千穂か。相変わらずうるさい奴だな……。お前ら、いい年してはしゃぎすぎなんだよ。ここにまで声が響いて来てたぜ」
「そっちこそ相変わらずな感じだねェ」
変わらない旧友の態度にニコニコしながら、歩み寄る。皆守は一人、展示室から外れたこの場所でずっと立っていたようだ。あの頃の、一匹狼を気取って屋上にばかりいた少年を思い出し、八千穂は笑いが止まらない。
「楽しそうだな……」
「うんッ、とっても! 久々に会う子もいたし。知らない人達も、きっとみーんな、友達なんだろうなッて思ったら、なんだかワクワクしちゃって」
「お気楽な奴……」
ふん、と鼻を鳴らして肩をすくめる仕草が、懐かしい。
「久しぶりだね、皆守クン」
「あァ」
「元気だった?」
「見ての通りだ。そっちは……聞くまでもなさそうだな」
「アハハッ、そうだねッ」
今日はとても楽しかった。懐かしい顔ぶれと話しているうちに、日常では忘れてしまっているような、小さな出来事も蘇ってくる。今にも学校のチャイムや、下校時刻を告げる物悲しいメロディが聞こえてきそうな、そんな気さえする。
「……いなかったね」
「……」
「久々に直接顔が見られるかなって、期待してたんだけど。残念」
「……まァ、展示品を見る限り、相変わらず忙しそうだからな。あいつこそ、この年ではしゃぎすぎだ」
「ふふっ。でも、冒険をやめて落ち着いた九チャンなんて、想像できないかも!」
と、言ってから、懐かしいあだ名に、八千穂は自分で目を細める。九チャン。遠く離れ、年月が経っても、憧れの、かっこいい、大好きな友達だ。会えないままに時が過ぎても、彼に向ける友情が薄れることはない。そのことを、八千穂は誇りに思う。
でも、それはそれとして、久しぶりに会いたかったのは本当の気持ちだ。皆に招待状を配ってほしい、と、突然封書が届いた時には驚いた。そして、もしかしたらと再会を期待した。
「あーあ、来てくれればいいのになァ、私達の《宝探し屋》!」
そう、笑顔でぼやいた時だった。
「来てる」
と、皆守が壁を顎でしゃくって示す。
「えっ?」
驚いて、皆守の隣へ並んで、壁を見た。特別展の出口に設えられたそれは、この展示を企画した博物館側からの解説のパネルと、展示品をここへ貸し出した、持ち主の紹介パネルだ。
「……九チャン?」
小さく添えられた写真は、どこか異国の町並みを背に笑っていた。ぎゅっと目尻に寄った笑いじわに年月を感じるものの、あの日のままの笑顔だった。
その横に、まったく覚えのない偽名。そして、どこそこ大学院卒、だれそれ教授の助手として長年各地の発掘調査に励み……と、思わず呆れてしまいそうな嘘八百の経歴が続く。
そして最後に、彼からのメッセージがあった。
「9の驚異の部屋展」へ、ご来場ありがとうございます。
この展示は、私のコレクションの中でも、特に思い出深く、気に入っているものばかりを並べてもらっています。
もしかしたら、誰かにとっては、取るに足らない、高い価値はないように思えるものもあるかもしれない。でも、私にとってはここにある全てが、大切な友人から託された、特別な《宝》なのです。
「九チャン……」
呟いて、八千穂はパネルに釘付けになった。皆守も、ずっとここに立っていたなら何度も目を通しただろうに、同じようにパネルを見ている。
ある宝を探す、私の旅の始まりは、20年前。ここ、東京の地です。だから、今回、この地での展示を決めました。
あの頃、駆け出しの未熟な私は、多くの人に助けられました。その時の出会いが、いまもなお私の旅路を後押ししてくれています。旅を投げだしたくなる苦難の時、いつも懐かしい声が聞こえます。笑顔が見えます。旅を続けるうちに、私を励ますそれらは、どんどん増えていきました。これからもずっと、増えていくでしょう。旅路の果てまで、ついてきてくれるでしょう。
あなたたちは、いつも私のそばにいてくれます。
それこそが私の一番の《宝》だと、あなたたちに知っておいてほしい。
ありがとう。久しぶり。
ただいま。
「おい」
横から、少し皺の寄ったハンカチを差し出されて、八千穂は自分がいつのまにか泣いていたことに気が付いた。慌てて首を振る。
「あれっ、あはは、どうしよ。もう、最近涙もろくなっちゃって」
「婆さんぶるにはちょっとばかり早すぎるだろ」
「あ、いいっていいって、擦るとお化粧落ちちゃうから。ハンカチ汚れるよ」
そう言ったのに、強引に目元に押し付けられて、結局は大人しくハンカチ越しに下瞼を押さえる。
「ありがと……」
「……」
ふんと鼻を鳴らすだけで済ませ、皆守はパネルを見上げて皮肉っぽくぼやいた。
「まったく、相変わらず大げさな野郎だぜ。振り回されるバディの身にもなれってんだ。なァ?」
バディ。そう、そうだ。かつて、あたしたちはそう呼ばれていた。
そして、今もきっと、そう呼ばれている。
湿った目のまま微笑んで、八千穂はパネルの笑顔に向き直って言った。
「お帰り、九チャン!」
『ヴンダーカマー・ナイン』
author:さく